2022年8月アーカイブ
ついに5台目まできました。
5台目はノート型PCで、2009年頃に流行ったネットブックというジャンルのものです。
性能は低かったのですが、PC本体の低価格化が非常に進んだのを実感させられました。

よくよく考えたら、4台目として書いた自作PCより、こちらの方が先に購入していたような気がしてきました。
(手元にあった購入直後に取得したバックアップファイルの日付が2009年9月11日だったので...。)

5台目 Acer Aspire one AOD250 (2009年9月~2012年7月)

持っていたPCは全てデスクトップ型ばかりで、ノート型は持っていなかった。
そこまで利用する機会が多いわけではないが、たまに出かけるときには欲しくなる。
ただ、ノート型パソコンというのは意外と高価であったため、手が出なかった。

そんな中で2008年頃からは低性能・低価格なネットブックというジャンルが流行を迎えていた。
CPUはIntel Atom、メモリは1GB、ディスプレイは10インチ前後という、当時でも低スペックな仕様。
性能は低くても、非常にコンパクトというところが個人的には刺さった。

ASUSやAcerといった台湾メーカーから色々と販売され、私が選んだのはAcer Aspire one AOD250という機種。
aod250.jpg

メモリが心もとなかったため、1GBから2GBに換装、動画の再生能力が乏しかったため、ハードウェアデコーダを追加。
Azure Wave AW-VD920Hというやつです。
これを積めば、H.264の動画の再生支援が行われ、ニコニコ動画が快適に見れるという優れもの。

就職活動の時にも持ち歩き、エントリーシートの確認などでも活用。
2012年にこれより性能のよいThinkpadを購入し、お役御免とした。
一方で、Xubuntuを入れ、自宅サーバのメンテナンス用機材とし、たまに利用している。
コンパクトで、Linuxのコマンドを打つだけなら、まだまだ使えるのである。

製品名 Acer Aspire one AOD250
CPU Intel Atom N280 1.66GHz
メモリ 2GB
HDD 160GB
グラフィックコントローラ Intel GMA950
ハードウェアデコーダ Azure Wave AW-VD920H
OS Microsoft Windows XP SP3

ネットブックというジャンルは非常に懐かしい。
あまりにも非力すぎたのか、この後はより性能が良いCULVノートが流行ったと思う。
PC遍歴4台目は現時点で最後の自作PCです。
概ね1台を5年程度使っているので、振り返るとそこまで経験があるわけではないですね。
ちょいちょいとスペックアップは行いましたが...。

メインとして使う自作PCの2台目ということで、個人的には理想的な仕上がりになりました。
それでは振り返っていきたいと思います。

4台目 自作PC(Windows 7) (2009年11月~2017年7月)

時は2009年のこと、Windows 7が発売された年である。
PCの進歩は目覚ましく、デュアルコア、クアッドコアは当たり前。
使っていたPCは2005年に構築したPentium 4であったが、Core 2 Duo、QuadやCore i7が出て、見劣りするようになった。

使っている分にはそこまで不満はなかったものの、Windows 7は期待できそうだったのと、スペック欲が出てしまった。
という訳で、Windows 7の発売に合わせ、PC環境を刷新することにしたのである。
(Microsoftの製品はバージョン5.1とか、6.1とかが優れていると信じた。あとService Pack 1以降とか。)

購入したPCパーツを並べて、当時写真を撮っていたようだ。
ここから私のPCは64bitとなったのである。
2009-11-01-001.JPG

2009-11-11-002.JPG

PCケース ANTEC Mini P180
電源 ENERMAX LIBERTY ECO ELT500AWT-ECO
マザーボード ASUS P7P55-M
CPU Intel Core i5-750
メモリ DDR3-1333 2GB x 2 = 4GB
HDD HITACHI Deskstar(HDP725050GLA360) 500GB
グラフィックカード 玄人志向 GF9600GT-E512HWHD-GE2
OS Microsoft Windows 7 Professional

Windows 7は非常に優れたOSで、この頃からそこまでカスタマイズすることはなくなった。
途中でVMware Server 2を入れ、仮想マシンを動かしたり、以前より活用の幅が広がった。
結果、メインPCとはいえ、ほぼ無停止で運用されることになった。
(Windowsなのでアップデートの適用はよく行っていたが...。)

Core i7への憧れ、軽快な使用感を求めてSSDの導入など、途中で拡張を行い、最終的には以下のスペックとなった。

PCケース ANTEC Mini P180
電源 ENERMAX LIBERTY ECO ELT500AWT-ECO
マザーボード ASUS P7P55-M
CPU Intel Core i7-870
メモリ DDR3-1333 4GB x 4 = 16GB
HDD Intel SSD 510 Series(SSDSC2MH120A2K5) 120GB
HITACHI Deskstar(HDP725050GLA360) 500GB x 2(RAID1)
HITACHI Deskstar(HDS721010CLA332) 1.0TB x 2(RAID1)
グラフィックカード 玄人志向 GF9600GT-E512HWHD-GE2
OS Microsoft Windows 7 Professional SP1

2009年11月から2017年7月まで7年半に渡って使ったが、私の利用用途なら全然今も使えたのではないかなと思う。
部屋が狭いので、小型なPCに変えることとし、お役御免とした。
色々と懐かしみながら書いていますが、そもそも誰が見るんだという内容ですね。
このブログの成り立ちも個人メモなので、そんなことを気にしてはいけません。

という訳で、3台目はハードオフのジャンクパーツで作った自宅サーバです。

3台目 ジャンクPC (2008年10月~2014年4月)

初めて自作PCを作ってから、雑誌でスペックを調べ、構成を妄想する日々。
でも、当然お金はない。

そんな訳でハードオフに通い、状態を見ながらジャンクパーツを集める日々。
そうこうしていると、憧れていたPentium 3のGHzオーバーのCPUを発見。
最初のPCが廉価版であるCeleron(世代的にはPentium 2ですが。)だったので、Pentium 3に憧れがあったのである。
(もっと言えば、Pentium 3-Sとか最高に憧れていたが、こいつは非常に高価だったと記憶。)

ジャンクのCPU、メモリ、マザーボード、HDDなどを何とか集め、ファイルサーバ兼個人用Wikiに仕立てた。

PCケース メーカー不明のケース
電源 ケース付属の電源
マザーボード AOpen Mother Board AX3S Pro 2
CPU Intel Pentium 3 1.0BGhz
メモリ PC133 256MB × 2 = 512MB
HDD Seagate Barracuda ATA IV(ST360021A) 60GB x 2(RAID1)
Seagate Barracuda 7200.7(ST3120026A) 120GB x 2(RAID1)
グラフィックカード 玄人志向 GFX5200-LA128C
IDE RAIDカード 玄人志向 ATA133RAID-PCI2
ネットワークカード 玄人志向 GbE-PCI2
OS CentOS 5.0

メモリは512MBだったが、最初は128MBとかだったかもしれない。
グラフィックカードは他にもあったと思うが、持ってる中でスペックのよいものを付けたのだと思う。
サーバ用途でしか使ってないので、完全にオーバースペック...。
他にも玄人志向 SIS305-PCI32とか、SPARKLE SP-375もあったが、何れも数百円だったかと...。

IDE RAIDカードとネットワークカードは流石にジャンクでは集まらず、新品購入したと記憶している。
最終的にはCentOS 6までバージョンアップして使い、結果として2008年頃から2013年頃まで活用した。

このサーバでApacheの設定とかLinuxの基本操作を学んだ。
安くとも色々と学びを得た思い入れのある1台だったなとしみじみ。
自宅サーバ環境はサーバ仮想化を導入することとなり、このPCも利用終了となったのである。
前回に続いてPC遍歴を振り返ろうと思う。
2台目は大学に入学し、初めて自作PCを経験した思い出の1台。

現物は実家に置いてきたので、スペックは記憶ベースです。
2005年に構築した標準的なスペックだったと記憶しています。

2台目 自作PC(Windows XP) (2005年5月~2009年10月)

1999年から2005年までWindows 98を使っていたが、当時はPCの進化も凄まじく、愛用のPCは時代遅れ。
1999年頃のPCはPentium 2からPentium 3の時代であったが、2005年は既にPentium 4の時代。
クロック数もGHz越えが当たり前であり、性能も(発熱量も)大きく進化していた。

CPUは1999年の300MHzから2000年頃には1GHzを超え、2005年には3GHzも当たり前という状況。
メモリも1999年は64GBが一般的であったが、2005年は512GBぐらいが標準になり、HDDも4.3GBから60~100GBに進化。
ざっくりと10倍ほどのスペックになっていたのである。

適当に購入してもスペックアップは望めたが、メーカー品だと心もとないということもあり、自作PCに挑戦したのであった。
2005-05-21-001.jpg

PCケース ENERMAX CS-125
電源 KEIAN K WIN-4001SPX-X 400W
マザーボード Intel D915PGN
CPU Intel Pentium 4 530J
メモリ DDR400 512MB × 2 = 1GB
HDD Seagate Barracuda 7200.7(ST3120026A) 120GB
グラフィックカード Leadtek WinFast PX6600TD
OS Microsoft Windows XP Home Edition SP2

途中でスペックアップを図っているので、当初のスペックは記憶ベース。
写真は自作して完成した直後だったと思う。
初めての自作だったので中が見えるケースがよいということで、横部分がアクリルのものをチョイス。
パーツ一式はZOA 豊橋店で購入したと記憶している。

自作した後の悩みとしては、CPU温度が常に72℃で壊れないかと心配だったということ。
Pentium 4 530Jを選んだ理由は3.0GHzで動作するからということで、折角なら3GHzを超えたかったのである。
ただ、悪名高いPrescottで発熱量が凄まじかったと記憶。

その結果、SCYTHEの大型ヒートシンクのKABUTOクーラーやサイドフローのKATANAクーラーに換装したりした。
あまりに爆音だったので、ファンコンを付けて、冷却具合と煩さを調整したり...。
じゃじゃ馬だった分、自作PCというのをそれなりに楽しんでいたような気がする。

満足のいく性能のPCを手に入れ、OSも安定感のあるWindows XPとなったため、PCライフそのものは快適であった。
ただ、Windows 98時代の習慣は抜けず、OSの設定は頑張っていた。
特にWindows XPのおもちゃっぽいUIは気に入らず、UIのカスタマイズを頑張っていたように記憶している。

Windows 98時代は余りにも非力だったので、途中からはアンチウイルスソフトは導入していなかった。
スペック的にも余裕がでて、セキュリティ対策もということで最初はノートン先生を入れていた。
ただ、ノートン先生にも苦い記憶があったし、お金もなかったのでウイルスセキュリティZEROを入れていた。

ノートン先生の苦い記憶とは、先代PCのWindows 98でインターネットにアクセスした時のことである。
先生が大量の警告メッセージを出しながら、マルウェアに負け、起動不能となった事件である。
結果、OSは再インストールすることとなった...。

最終的には若干のスペックアップを行い、以下の通りとなった。

PCケース ENERMAX CS-125
電源 KEIAN K WIN-4001SPX-X 400W
マザーボード Intel D915PGN
CPU Intel Pentium 4 530J
メモリ DDR400 512MB × 4 = 2GB
HDD Seagate Barracuda 7200.7(ST3120026A) 120GB
HITACHI Deskstar(HDS721616PLA380) 160GB
グラフィックカード Leadtek WinFast PX6600TD
OS Microsoft Windows XP XP Home Edition SP3
そうだ、断捨離しよう。
思い立って、最近使っていない自作PCを処分しようと、整理し始めた。

自作PCを使わなくなって、何年ほどたったのだろうか。
昔は市販のPCの性能だと不満が多かったので自作PCをしていたが、もう10年ぐらいしていない。

お金もなかったので、自作PCを頻繁にしているわけではない。
OSのカスタマイズを頑張ったり、ジャンク屋に行って、安くパーツを買ったり。
Windowsを安定動作させることに苦労していた頃がもっともPCに興味があり、色々と弄っていた。

コンピュータというものがよく分からなかった頃の方が、知的好奇心が刺激されたからだろうか?
ハードオフに入り浸り、ジャンクパーツを集め、制限も大きいながら、それらで自作PCを楽しんでいた。
よく本屋で立ち読みし、DOS/V POWER REPORTを読んでいた。

普通科の高校でつまらない一般教科よりはPCの知識を付けようと、図書館でPCの本を読んでいた。
(でもおいてある本が大体古いので、N88BASICだったり、MS-DOSに関する知識ばかり...。)
高校で受けるセンター試験の模擬試験では数学1A、2Bで授業でもやらなかったコンピュータの単元を勝手に解いていた。

物凄く詳しいわけではなかったが、PCオタクを楽しんでいたのである。
当時はPCパーツのスペックにもある程度は詳しかったが、今では全くである。

Windowsも機嫌良く動いており、苦労もさほどかけなくなったからだろうか?
それともSEというのを生業としているためだろうか?

懐かしい気持ちになりながら、PCオタク少年だった頃を思いかえし、自分のPC遍歴を振り返ろうと思う。

1台目 NEC VALUESTAR NX VC30H/5XD2 (1999年1月~2005年4月)

私が中学校の入学祝いに祖父母から買ってもらったPCである。(1999年のことなので、もう23年前...。)
当時は父親が仕事で貸与されたノートパソコンを使い、仕事をしていた。
そんな父親の姿からパソコンというものに興味を持ったのだと思う。
(私の記憶が確かなら、父親が使っていたのはFUJITSU FMV-BIBLO NU313のはず。)
vc30h.jpg

最初は付属のゲームでひたすら遊んでいたし、フリーソフトウェアが入った雑誌のゲームで遊んでいた。
信長の野望 将星禄の体験版が入っており、体験版ながらひたすらやりこんだ。
(結果、歴史オタクも開花し、中学では社会科が得意科目となった。)
もちろん、その後、信長の野望はパソコンショップで見つけて購入した。

Windows 98の安定感のなさに苦労し、OSの設定をただひたすらに頑張っていた。
直ぐにシステムリソースが足りないと警告が出て、ハングする始末。
この状態になるとOSが汚れているものと考え、繰り返される再インストール。
不要になったアプリを消すタイミングで、一緒にOS再インストールをするほどである。

そのうちにPCの性能不足を感じ、CPUアクセラレーターを搭載したり、メモリを増強したりと楽しんだ。
といっても、お金がなかったので、出来る範囲ではあるが、中学、高校と6年間ほど使った。
途中、Windows Meにアップグレードしたが、不安定感が増したため、Windows 98に戻した。

高校に入り、親がクラスで3番以内に入ったら、インターネットを引くというので、3番になった。
その後、オンラインゲームに嵌り、成績は低迷し、浮上することはなかった。
親からはインターネットを引くんじゃなかったと言われる日々だった。

この頃、プログラミングに興味を持ち、とりあえず書店でC言語の本を購入したが...。
よくわからず、DSP Cプログラミング入門という組み込み系の本を買ったため、全く分からないまま終えた。
めげずに雑誌についていたN88BASICのシミュレータやVisual Basic 6.0評価版、Active BasicなどでBASIC系を楽しんだ。

思い出話が長くなったが、スペックは以下の通りであった。

製品名 NEC VALUESTAR NX VC30H/5XD2
CPU Intel Celeron 300AMhz
メモリ 64MB
HDD 4.3GB
グラフィックコントローラ ATI RAGE IIC
OS Microsoft Windows 98

色々と思い出している間にグラフィックコントローラはAGP接続なんてあったなーと思い出した。
CPUはBUFFALOの「HP6-MX700」というCeleron 700Mhzが搭載されたCPUアクセラレータに換装した。
メモリはPC100の64MBメモリを増設したと記憶している。
ハードディスクは40GBのものに換装した。
当時あったOAシステムプラザ豊橋店か、グッドウィル豊橋店で購入したはず...。

色々と拡張した結果、最終的には以下のスペックだったと思う。

製品名 NEC VALUESTAR NX VC30H/5XD2
CPU Intel Celeron 700Mhz
メモリ 128MB
HDD 40GB
グラフィックコントローラ ATI RAGE IIC
LANカード BUFFALO LGY-PCI-TXD
OS Microsoft Windows 98